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随分遠くまで

記録をつけたくなった時に

とあるブログを読んだ感想のメモ

pha.hateblo.jp

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同じ人の記事だが,この辺りの記事を読んで思ったこと.

1つ目と2つ目の記事について深く共感を覚えた.

1つ目の記事では特に,「人と一日中同じ空間にいると苦しくなる」という部分である.自分は大学に居続けることが本当に苦手だ.毎日早く帰りたいと思っているし,そういう嫌なイメージが染み付いているので可能な限り少ない登校で必要なことが回るようにいつも考えている.そういうところには労力を惜しまない.ただ,このブログ主とは違って授業という形態自体には苦手意識はない.ただそこに人がうじゃうじゃいるということを思うと嫌な気分になるというだけだ.

2つ目の記事は自分が大学受験に落ちて自宅浪人していた一年を思い出すものだった.あまり自分のことをそういう人間だとは思わないが,自宅浪人していた一年は自制が効いていて,起きるや否やパソコンを立ち上げるというようなことはなかった.しかし,毎日やたらといろんなところに外出しては,2,3時間時間を潰して家に帰るともう疲れているというようなことを繰り返していた記憶がある.自転車で行くとちょっと遠い,隣の駅前にあるちょっと大きな100円ショップに特に買うものもないのに繰り出したり,または近場の大学に忍び込んでそこら辺のベンチに座りつまみ出されはしないだろうかとキョロキョロしながら勉強するポーズをしてみたり,または電車賃を払って土手のある川辺に行ってぶつぶつと独り言を言ったり,または思い付いたように植物を買いに百貨店まで足を運んでみたり,そんなことばかりしていた.まさに,家に居続けることに飽きていた.外出して何か自分が"引っかかる"ものが欲しかった.しかし自分はどこに行っても,何にも阻まれず,ただすり抜けるばかりで,誰かと会話をしたいと思って出かけて誰とも話せず帰路につくその気分,社会の中で何でも良いから存在感を感じたいと思っても何も得られないその気分は,今でも焼き付いている.大学に通っていると自分は本当に誰よりもホームシックな人間だと思うものだが,家に引きこもり続けることもまた難しいことは知っているのである.

今では大多数の人がSNSをやっていて,それまで知らなかった人に簡単に近づくことができる.それは仲良くなるという意味ではなく,文字通りコンタクトを送るという意味だ.そのとき自分が人に近づこうとする基準は自分に似た何かを持っているというただ一点である.自分と同程度に社会不適合かどうか.いつか自分の期待が裏切られることはなんとなくわかっている,同じ人間などいないので当たり前だが,もしかしてこの人なら全て理解してくれるんじゃないかと,そういう人を常に探している.

このブログ主にも読み始めたときは強く惹かれたが,3つ目の記事で,この人とは根本的に食い違っていると思った.そこに行けば誰かがいる空間というものを自分は心底嫌っている.自分は興味がない人間にはこれっぽっちも興味がない.もちろんばったり会ってしまえば普通に会話もするが,その時間は大体苦痛で,自分の時間を切り売りしているような感覚すら覚える.恐らく相手に与える印象も事務的なものになっているだろう.そのような時間が発生するような場所は避けてでも行こうとしない.同様に,この記事に紐付けられている「仲間を作りたいなら〜」という記事にも共感を覚えることができなかった.

自分のバックグラウンドを書いておくと,自分は中学高校という多感な時期,数人の親友には恵まれた一方,多数の人間と仲良くすることは徹底的に上手くいかず,むしろ煙たがられることが多かった.友達は多いに越したことはないみたいな言説を心底受け入れている人は少ないだろうが,自分はそういうものを受け入れていない以前に,人と仲良くするということに期待をし過ぎている嫌いがある.他ならぬ自分のことなのでこれを良いとも悪いとも思わないが,酷く生きづらいと日々感じている.

 

一人で生きていければそれで良いのだが,それは難しいとか以前に,人間一人で居れば孤独を感じるものである.自分は孤独に安心感を覚えるし,適性もある方だと思うが,それでも孤独は孤独なのである.今日久しぶりに,わざわざ更新しようと思ったのは少し自分という人間について書き起こしておきたかったからだ.自分はどのように生きれば良いのだろうか.少し考えてみる必要性を感じた.例えば,自分はシェアハウスに入って生活ができるような人間からはかけ離れている.一方で,今だ社会を支配する平凡な幸せを掴める人格からはどうしようもなく外れてしまっている.

昨今のニコニコ動画の界隈などを見ていても思うのだが,「除け者の集団の中に主流派と呼べるものが発生すると最悪の疎外感を覚える人間がいる」ということだ.別に除け者は一生成功して欲しくないとは言わないし,言ってしまえばこれはただの嫉妬であるのだが,除け者のありかたみたいなものまで「型」ができてしまうのは大変生きづらい.

 

こういう文化にも馴染めない時点で,将来的に自分の居場所と呼べるものがあるようには思えない.今はアカデミアにしがみついてなんとなく未来図を描いているが,日本のアカデミアもまた自分のような人間には合わないことは,その筋の人なら明らかにわかるだろう.

"徹底的に人間が嫌い"でも行き詰まることなく生きていく道はあるだろうか.